ユニオル・マルテ(Yunior Marte, 1995年2月2日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
日本での登録名はジュニオル・マルテ。
経歴
プロ入りとロイヤルズ傘下時代
2012年7月19日にインターナショナル・フリーエージェントでカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。しかし、メディカルチェックの結果肘の怪我が発見されたため、契約は一旦無効になった。数日後に交渉した結果、20万ドルだった契約金を7万5000ドルにするという条件で合意に達した。
2013年はルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ロイヤルズで11試合に登板して4勝3敗、防御率1.71の成績を残した。
2014年は、ルーキー級のバーリントン・ロイヤルズでプレーした。11試合に登板して4勝3敗、防御率3.44を記録した。
2015年は、A級のレキシントン・レジェンズでプレーし、18試合で4勝5敗、防御率6.44の成績を残した。
2016年は、A級レキシントンで26試合(先発7試合)で6勝8敗1セーブ、防御率4.21の成績を残した。サウス・アトランティックリーグのリリーバーの中で6位の評価を受けた。
2017年は、A 級のウィルミントン・ブルーロックスでプレーし、オールスターにも選出されたほか、AA級のノースウエストアーカンソー・ナチュラルズでもプレーした。この年は、2チームの合計で37試合に登板し、4勝4敗、防御率3.98の成績を残した。
2018年は、AA級ノースウエストアーカンソーでプレーし、43試合の登板で4勝4敗2セーブ、防御率2.91だった。
2019年は、AA級ノースウエストアーカンソーとAAA級のオマハ・ストームチェイサーズでプレーした。 2チーム合計で46試合に登板して、3勝3敗2セーブ、防御率4.19を記録した。
2020年は、新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、プレーしなかった。11月2日にフリーエージェント(FA)となった。
ジャイアンツ時代
2020年12月9日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。
2021年は、AAA級のサクラメン・トリバーキャッツでプレーした。43試合(先発1試合)で0勝3敗4セーブ、防御率3.49を記録した。11月7日に40人枠に追加された。
2022年は開幕をAAA級で迎えたが、4月12日、出産の立ち会いによって離脱したタイラー・ロジャースの代わりにメジャーに昇格した。その日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューを果たし、無失点で抑えた。ジョン・ブレッビアが忌引リストから復帰した翌日にマイナーに降格した。
フィリーズ時代
2023年1月9日にエリック・ミラーとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。この年は39試合に登板して1勝1敗、防御率5.03を記録した。
2024年は23試合に登板したが、防御率6.92と苦戦した。オフの11月4日に40人枠から外れ、AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスに送られることになったが、それを拒否しFAとなった。
マリナーズ傘下時代
2024年11月23日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、2025年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
中日時代
2025年2月6日に中日ドラゴンズへの入団が発表された。背番号は52。推定年俸は1億9000万円。
選手としての特徴
最速158km/hのストレートと、スライダーおよび直球に近い球速のシンカーを投げる。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
背番号
- 74(2022年)
- 43(2023年 - 2024年)
- 52(2025年 - )
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手名鑑 - 中日ドラゴンズ公式サイト



![中日新外国人 ユニオル・マルテ(ジュニオル・マルテ) 52 [MLB THE SHOW24] 一打席対決 大谷翔平 YouTube](https://i.ytimg.com/vi/KgQqH-4trEk/maxresdefault.jpg)
![マルテー オールワン ローラー新発売中! 大塚刷毛製造 [COLOR WORK]](https://colorwork.jp/img/1656131913233.webp)